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【東日本大震災】内陸避難者の思いと課題 盛岡の災害公営住宅の住民と支援者たちは 岩手

東日本大震災の岩手県の最後の災害公営住宅が盛岡市に完成して3年が経ちました。震災による津波で自宅が流され、故郷を後にして盛岡で暮らす人がコミュニティーをどう再生していくのか当事者や支援する人の姿を取材しました。 盛岡市南青山町に建てられた南青山アパート。地上3階と4階建ての4棟に94世帯179人が入居しほぼ全ての部屋が埋まっています。このうち7割の世帯は東日本大震災の被災者で住み慣れた故郷を後にして盛岡で暮らしています。 被災者の生活支援をしているもりおか復興支援センターは、アパートの一角に「青山コミュニティ番屋」と名付けられた職員が常駐している拠点を設けました。 もりおか復興支援センター 金野万里 センター長 「コミュニティーの支援個別の世帯の生活支援両輪で支援していくことで皆さんが ここに住む方々がこの大きな青山という地域の中で安心安全に暮らしていけるのではないかと思って岩手県と盛岡市にお願いをして拠点を作って頂いたということです」 毎週水曜日には集会所に住民が集ってお茶会を開いています。 お茶会参加者 「行くところがなくて来たのでここしかないという気持ちで入っている」 ご出身はどちらですか「みんなバラバラ」 「私は宮古です宮古で被災されたんですねそうです全部持っていかれました」 「私は陸前高田奇跡の一本松の近く」 「津波にあって自分が住むところを無くして入ったという人たちなので、話をしているうちには どこかでそうだよねって言い合えるところがありますね」 陸前高田市で被災した湊洋子さんは9年半もの間、みなし仮設とされた盛岡市内のアパートで暮らしていました。 湊さん 「眺め良いですね、あったかくなると外に出て眺めてた方が良いみたい」 長年連れ添ったご主人は南青山アパートに入居するのを楽しみにしていましたが、前の年亡くなって一人で南青山アパートに入居しました。湊さんは南青山アパートを「終の棲家」と定め新しい生活を始めました。あれから3年あまり。湊さんは 湊洋子さん 「慣れましたけどお友達もできましたし、いろいろな行事もここに引っ越ししてからのここの行事もありまして、そういうところには皆さんと顔合わせして楽しくやっています」 13年前の3月、岩手県沿岸を襲った巨大な津波は一瞬にして各地のコミュニティーを根こそぎ破壊しつくしました。青山コミュニティ番屋を運営するもりおか復興支援センターの加藤昭一さんは、見知らぬ地域に移住してきた被災者のコミュニティー再生に心を配ってきました。 青山コミュニティ番屋生活支援相談員 加藤昭一さん 「たいていの世間の人たちってもう10何年って経ったから震災とか復興ってもう終わっているんじゃないのって、復興支援とかってまだやっているのって聞かれることがあるくらいなんですが、今でも震災のこと亡くなったときのことを昨日のことのように思い出すし 言葉を詰まらせる人もいるし、 それってある意味で言うと一生忘れられないことだと思うんですよね」 南青山アパート会は去年11月、住民が主催した消防訓練を初めて行いました。訓練には58.5パーセントと半数を超える世帯が参加しました。訓練の後に行ったアンケートでは、自宅から隣3軒程度の人の顔と名前がどれくらいわかるか聞いたところ少しわかる、ほぼわからないと答えた人が合わせて47.3パーセントと半数近くに上り、近所付き合いが余りないことが分かりました。青山コミュニティ番屋ではこうした訓練がご近所の付き合いを始めるきっかけになることを期待しています。 青山コミュニティ番屋生活支援相談員 藤澤久美子さん 「将来的には防災部というアパート会には今まだないんですが、防災部を作りたいという意見も出て来ていて安心安全の暮らしのために皆で何ができるかということを今後考えていくきっかけになっています」 南青山アパートに住む人の中には自ら進んで草取りをしたり花壇づくりをする人。また雪かきをするため自分のお金で除雪機を買った人もいます。 田上栄子さん 「 暇なとき時間の手が空いているときですね」「せっかくこういうところに住まわせていただいているので、きれいなところに住みたいなと思って みんな気持ちいいですねきれいなほうが、きれいなほうがみんな住んでいる人たち気持ちがいいと思います」「4年目に入っているのかな1年目に植えたスイセンで2年目にこのシバサクラを植えて皆できれいにしているんですね」 青山コミュニティ番屋を運営するもりおか復興支援センターは、今月中に岩手県立大学の学生3人に南青山アパートに住んでもらうことを提案しました。 もりおか復興支援センター 金野万里センター長 「ここが共用部分になります共用部分はSAVE IWATE=もりおか復興支援センター事業委託先である程度の電化製品は揃えました。コミュニティを継続していくにはどうしたらいいか考えたときに若い世代の人につないでいくということを思いついて県立大学の先生と話をして、コミュニティーの活性化に若い力が発揮してくれるのではないかとこういったことを考えました」 住む家や財産をうばわれコミュニティーを失ってしまった被災者の方々が、終の棲家として選んだ南青山アパート。若い人の力を借りたり、消防訓練などの交流を通してここに住んで良かったと思えるような街づくりに取り組んでいます。

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